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工房だより

会長

ご無沙汰しております、WOODWORK杉島です。
 
今日はずいぶん冷え込んでいますね、インフルエンザが例年より早く流行が始まっているそうですし、皆様お変わりなくお元気にしていらっしゃいますでしょうか?
 
私たちWOODWORKスタッフの今年のスタートは1月8日(火)から。おかげさまでみなそろって新しい一年を迎えることができました。
 
 
 にも関わらず、しばらくブログをお休みし、昨日臨時休業をいただきましたのは、弊社取締役会長の告別式のためでした。
 ご来店いただいたお客様にはご存じの方も多いかと思いますが、WOODWORKショップに隣接する築50年の木造の事務所に、一日座って表の様子や私たちの働きぶりを監督したり、たまには昼寝をしていたあの会長です。
 
 昨年暮れ、肺炎のために101歳の大往生を遂げました。
 
 
 明治40年に生まれ、若くして下甚商店創業者の父を亡くし家業を継ぐことになりました。そのためか、仕事一徹、よく怒鳴り、表裏のない仕事ぶりは、今どきいない絵にかいたような頑固おやじでした。
 
 戦争に行ったというのでよく聞くと、太平洋戦争ではなくて、そのずっと前、満州に渡ったことがある、とのことでした。寒い日に、「気をつけないと風邪をひくよ」と声をかけると、「俺ぁ戦争で10日も歩き続けたんだ、このくれぇどってことねぇ。」と減らず口が返ってきました。でも確かにお店の誰よりも体は丈夫で、風邪を引いても二日続けて寝込むことは一度もありませんでした。
 若い頃は近衛隊に所属し書記官をつとめたそうです。その腕は晩年も衰えず、私たちも、お店に掲げる看板を書いてもらったり、のし紙の宛名を書いてもらったりしました。
 
 面倒見がよくて太っ腹なところもありました。材木組合の会館に篠崎文庫を寄贈したり、神社に花棒(お神輿の棒)を寄贈したり、檀家総代をしていたお寺さんの改修にも尽力したとのことでした。
 
 うらはらに、厳しく恐い面もありました。
 間違っていると思ったら知らない人や怖そうなひとでも関係なし、お店の前に車を停めてる人がいると必ず怒鳴りつけに行くので、殴られやしないかといつもはらはらしていました。
 
 商売に関しては身内にも厳しくて、材木の売値を聞いて、高すぎる、そんなことしてるから客がにげちまうんだ、おめぇらは商売がわかってねぇとよく怒られました。トラックに荷物を積んでいると、やってきてああでもない、こうでもないと指示を出し、あげくに一から積み直しをさせられるのがいつものことでした。

 そうして社長やみんなと喧嘩しながらも亡くなる直前までカクシャクとして毎日お店に出ていました。夕方にはWOODWORKのほうへ来て、電気代がもったいないからお店の電気を半分消せというのが毎日の口癖で、もう半分に消してありますよと答えるのが私の口癖でした。戸締りと火の始末を口やかましく確認され、お客様がいらっしゃるときにはちょっと困ったこともありました。
 
 それでいて人とおしゃべりするのが好きで、事務所に顔を出す人には必ず席をすすめ、お茶をすすめ、またいらっしゃいよと送り出し、帰った後になって「今の人誰だった?」といって周りを笑わせていました。
 
 
 
 具合が危ないと聞いてから数日、高熱を出しながらも高齢とはおもえない頑張りでした。
 
 亡くなった後もなんだか信じられなくて、会長のお通夜の準備でばたばたしているところへ会長がやってきて、今にも「何をやってんだ?」とちょっかいを入れられそうな気がしてなりませんでした。
 
 
 暮れも押し迫っていたため、家族と私たち社員が参加して、ささやかに、しめやかに、涙にくれながら密葬を済ませました。
 
 
 
 
 

 昨日の告別式。雨の中、何百人もの方々がご会葬くださいました。もう会長はお骨になっていましたが、老醜をみせまじという会長の最後の意気だったのかもしれないと思うと、最後の最後まで会長らしかったのだと思いました。
 
 
 平成19年12月25日没、享年101歳。
 会長が守ってきた下甚商店、その技術や歴史を受け継いでいるWOODWORK。微力ではありますがこれから先、会長が生きてきた101年と同じだけ、お店が続いていくように私たちにできることをコツコツとやっていきたいと思っています。
 
 
  

 
 
 

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